Shogo Kawabata Talks Vintage MMA

Shogo Kawabata Talks Vintage MMA

Photos by Susumu Nagao

[Shogo Kawabata is a Shoyoroll creative team member and freelance editor. He published the jiu-jitsu zine「ATAQUE」since 2000. He is currently publishing a strangest plants magazine with Straight-Books.]

[フリーランスのエディター。2000年より東京でブラジリアン柔術をテーマにしたZINE「ATAQUE」を出版。現在はマニアックな植物をテーマにした図鑑を出版するstraight-booksを主宰している。www.straight-books.com]

Before it was called “mixed martial arts,” no-holds-barred fighting was virtually dominated by the strongest jiu jitsu players of BJJ’s early teams.

It was a time when style mattered more than well-roundedness—as most of the world had yet to catch up with the technical mastery of grappling that the Brazilians had been honing for a few decades.

The significance of the walkout—the entrance into the ring—held more meaning in those early days, simply because fighters were far more representative of their individual instructors and training partners. 

 

In these photos, taken by legendary photographer Susumu Nagao, we see Vitor Belfort, and Wallid Ishmael—two of the most fierce-some grapplers to have been raised under the tutelage of Carlson Gracie, the prolific jiu-jitsu teacher and team-leader known for his hard-nose style and rebellious attitude.

You’ll notice both Belfort and Wallid are seen wearing their gi during their entrance—something you don’t see in MMA very often anymore. Back then, a gi was worn as a sign of respect to both their lineage, and as a symbol to show the crowd what style they were truly representing in battle.

現在のMMAは、様々な格闘技を取り入れて高度に洗練化された技術体系を確立しており、
それを駆使するトータルファイターたちが戦う競技だ。しかし、黎明期は、様々なジャンルの格闘技が、自分たちの競技こそが「最強」の格闘技であることを証明するための場であった。自身の敗北は、競技の敗北を意味する。その試合にかける思いと重圧は、現在のファイターとは、また異なるものだっただろう。特に柔術は、MMAで勝つことで、その優位性を証明してきた競技であるから、その思いは一際強い。選手は柔術家の象徴である道着をまとい、一門でトレインを組んで一丸となって戦いの場へと向かう。そんな競技の看板を背負った負けられない戦いに挑む柔術家たちの、かつての入場シーンが私は好きだった。中でも気に入っているのは、1997年、UFC12に初参戦したビクトー・ベウフォートを、写真家・長尾迪氏が撮ったこの一枚。名伯楽のカーウソン・グレイシーを先頭に、マリオ・スペーヒー、マーカス・コナン・シルベイラ、アラン・ゴエスなど、往年の強豪柔術家が連なるトレインの中に19歳のビクトーはいた。これが初参戦にもかかわらず、スポンサーのパッチでいっぱいとなった道着をまとい、自信に満ちた精悍な表情で入場する姿は、とても印象的だった。

 ところで、柔術着にスポンサーのパッチをところせましと貼るあのスタイルは、一体誰が始めたのだろう? 一説にはヴァリッジ・イズマイウだと言われているが、せっかくの機会なので、イズマイウの親友でもある長尾氏を介して、その真相についてきいてもらった。  
 「道着にパッチを最初に貼ったのは私が最初だよ。当時の柔術家はみんなアマチュアだったから、試合に出てもお金は貰えない。収入は道場での指導料くらいさ。そんな中で、私はプロであるということを強く意識するようになって、スポンサーを付けるということを考えたのさ。私が故郷のマナウスからリオに来たのは15歳のときで、当時はカーウソンの道場で寝泊まりをしていた。父親からの援助は一切なかったが、貴重なアドバイスがあった。『リオで成功したいのなら、自分で成功することを強くイメージして生活しなさい』と。その言葉のおかげで、他の選手よりプロ意識が強かったのだと思う。1991年に大きなスポンサーが付いてくれて、道着の胸のところにパッチを貼り、当時のお金でひと月2000ドル貰ったのは今でも覚えてるよ。」
 現在イズマイウは、2003年にスタートさせた格闘技イベント『ジャングル・ファイト』のプロモーターとして活躍しているが、コロナウィルスの影響で2月にリオで開催した大会を最後に現在は中止しているという。この騒動が収束して、世界中で素晴らしいファイトが再開されることを祈りたい。

 

 

 

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